平塚柔道協会の思い出と共に
平塚柔道協会理事 秋山 進
1999年8月28日

 平塚柔道協会は昭和24年に発足しました。多くの諸先輩とご支援を頂いた数え切れない有志に支えられて、ここに50周年を迎えることができました。この間のいろいろな出来事を思い巡らす時に、多くの賜りましたご厚情に感謝を申し上げるのみでございます。

 当協会の発足は、見附台にありました元平塚警察署の道場をお借りしての出発でした。戦後の余塵が定まらぬ混乱期にあり、稽古着を手に入れるのが大変な時期でありました。ご指導を頂きました先生方も戦後に復員された歴戦勇士であり、特に故加藤喜録先生(講道館柔道8段)が中心になり、寄り集って協会設立を発起いたしました。戦後のこと、ポツダム宣言の趣旨に基づき、GHQ(連合軍司令部)の指示により、学校体育や社会体育からの武道禁止令が発せられた時代でした。このため、柔道の普及は戦後の復興に乗ったとは云えなかったようです。

 その後、柔道を個人の趣味スポーツなら認める等の通達が出されましたが、武道に対する一時の空白期があったために、発足当時は入会者より先生方が多かったという時代が続きました。昭和26年頃になると、平塚市内の高校に柔道部が設立され、柔道が本当の意味のスポーツ柔道として、活動を開始したのでした。今や柔道は国際スホーツとして、オリンピックの正式種目となり、世界に多くの柔道人口を抱えています。この間、平塚市の体育振興策の1つとして、市民からの寄付を募り、その浄財を基金として、見附台体育館に柔道場(武道場)を併設して頂きました。平塚柔道協会は、この柔道場を拠点に、平塚柔道の歴史を作り、湘南地区柔道の中心的な役割を果たしてまいりました。そして、現在では、大原の平塚総合体育館の地下にある立派な柔道場(第一武道場)を拠点とさせて頂くに至りました。これらも一重に多くの方々のご支援とご助力によるものと感謝しております。

 特に、新しい柔道場は小学生及び中学生や高校生を含む青少年の体育育成の場として使用され、このところ女子柔道家の進出に目覚ましいものがみられ、やや指導者不足の問題を生じておりますが、平塚市在住の外国人柔道家等の稽古場になっております。一般に、人の生きる最終目標は自己の実現にあると云われています。そして、各人の能力や資質は非常に多様であり価値観の違いもあり、他人と同様の地位や成績を残すことは不可能です。したがって、人間として同じ様な生活を営むこともできません。むしろ、自己は他人との比較というより、自己の持つ能力や資質を十分に発揮することで、人間としての本質的な喜びや充実感を見出すことが大切と考えます。柔道はこのことを実現する訓練の場でもあるのです。これからも多くの会員共々とスポーツ柔道を通じて、生きる喜びの場として挑戦していきたいと考えます。

 目前に21世紀が近づき、新しい世紀と新しい時代の息吹が感じられます。平塚柔道協会の会員一同はなお一層の精進を誓う者であります。また、ご指導とご支援を頂いております関係各位におかれましては、さらなるご発展とご健勝でありますよう祈念すると共に、今後ともご協力とご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。

(平塚柔道協会創立50周年記念誌より抜粋)

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