45.平塚柔道物語・その45
「苦しみを快感と思え」に感動した美樹選手
女子52kg級で全日本第2位となった渡邊美樹選手(浜岳中出身・東海大1年)は、なぜこのように強くなっていったのか。
彼女は初めから真田教師のいる浜岳中学校に在籍していたわけではなく、同じ市内の大野中学校に通っていた。
1年生の終わり頃、柔道部の顧問高木先生から、「美樹、俺は来年この学校は異動になるかもしれない。
出来れば、今のうちに、俺の信頼する浜岳中の真田教師のところへ行け」と話しがあった。
高木氏は彼女の並はずれた才能を見抜いた上で、彼女の将来のために、真田教師を紹介したのである。
同じ有段者の教師でありながら、自分の愛弟子を他の教師に紹介するということはなかなかできないものである。
彼女の他にも何人か、優秀な選手を真田教師の元へ紹介しているが、高木氏の生徒のことを第一に考える人柄を、
私は高く評価したい。
彼女が浜岳中学に転校し、柔道部の門をたたいたのは1年生の終り、2月頃だった。
柔道部に入ると道場の壁に大きく「変態になれ」と張り紙があった。教師の真田が書いて貼ったものである。
その横に、「苦しみを快感と思え」という添え書きが記されてあった。美樹は感動した。
それは自分が柔道家として成長していくために苦しみを乗り越える方法であると確信したからである。
真田の指導トレーニングは厳しかった。授業が始まる前の朝のランニングは、あまりの厳しさに、
もどしてしまう生徒もいた。
昼休みの時間は腕立て伏せ200回をこなす。放課後は、真田教師指導の部活の稽古。
一般の選手が音を上げるような苦しさ辛さは、彼女においては普通であった。
さらに夜には、父の先輩の柔道場でまた稽古をする。
真田は美樹に話した。「変態になるとは超人になるということだ」と。彼女はめきめき強くなっていった。
この中学時代に体力と根性の土台を作ったのである。この根がしっかり出来た後、枝も幹も葉も伸びていくのである。
きついハードルを乗り越えると結果につながるということを、美樹は教師の真田から身をもって学んだのであった。
現在、この修行が土台となり、踏み台になっているのではないだろうか。
彼女の筋力の強さは、小さい時から人並みはずれていた。保育園の運動会の時、前日片足を怪我してしまい、
カケッコの競技を何と片足だけで出場、ケンケンで走り、1位になったという。
小学校6年の時には、100m競争で県下5位に入賞している。また、今でも語り草になっているのは、
浜岳中柔道部の練習中、男子90kg級県3位の生徒を、奥襟を持って投げ飛ばしたという。
真田教師は「本来女子といっても男子に比較すれば筋力に差があるものだ。
90kgの強い男子生徒を腰に軽々と乗せて投げたのは50kg級そこそこの女の子は後にも先にも
美樹しかいない」と語っている。
−以下次号−
写真は、中学時代の渡邊美樹選手と真田教師
渡邊美樹[東海大1年] 1990年5月23日生(19歳)
福島県出身 出身校:横須賀学院高 身長155cm
(HIRATUKA 市民ジャーナル 連載記事より抜粋)
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