平塚柔道物語その42
平塚柔道協会 会長 奥山晴治
2009年12月1日

42.平塚柔道物語・その42

柔道上達成功の鍵−中西英敏東海大柔道部前監督

 昭和59年、中西英敏さんはロサンゼルスオリンピックの柔道に出場。優勝候補と期待されたが、 1回戦で肋軟骨を折ってしまったのである。しかし、その痛みに耐えながらも試合を続け、第5位という成績を残した。 その強靭なる精神力に驚かされる。

 その後、東海大監督になってから、五輪の無念さを選手育成に生かしている。教え子の井上康生、塚田真希などは、 世界選手権大会やオリンピックで金メダルを獲得しているのだ。

 平成20年に新しく建てた中西さんの道場の入口右側には、刺繍の額が飾ってある。それには「これまでの長さに渡り、 東海大学男子柔道部のために、精根尽きるまで、ご指導いただきましたことに我々一同心から感謝申し上げます。 東海大学男子女子柔道部OB一同」と記されてある。「精根尽きるまで」が印象的であるが、 中西さんの柔道に対する一貫した姿勢を物語っているのであろう。

 わが平塚柔道協会の中に、東海大学で中西さんと同じ釜の飯を食った同級生がいる。それは、 協会の副理事長の栗田利広5段である。彼は人間としてなかなか深みがあり、年配者と若い人達の間に入って、 協会を上手に取りまとめている中心的人物である。

 また、道場では、中学生から社会人までの指導責任者でもある。中西さんと学生時代から交流が深い彼は、 「中西君の柔道に対する真摯な姿勢にはいつも感心していた。猛練習が終わった後も、 相手を見つけては遅くまで技の研究をしていた」と当時を懐かしく語っている。

 のちに中西さんは、全柔連発行の雑誌に「柔らのこころ」というタイトルで執筆している。 『私は運よく世界一になったり、オリンピックに出場するという経験をすることができましたが、 決してエリート選手ではありませんでした。インター杯の出場経験もなく大学に入りました。 この私がなぜ世界チャンピオンになれたのか、今振り返ると、それは「夢への挑戦」であり、 自分の「世界チャンピオンになりたい」という夢をなんとしても達成したいという気持が強かった。 つまり「目標なくして進歩なし」という言葉を常に胸に、頑張り続けることができたことが要因だと思っています。(中略)』

 また、最終目標を設定して頑張っても、目標を達成することが叶えられない時もあるかと思います。しかし、 私は目標に向かって「力必達」を実行するというその過程が一番大切であり、この頑張りの過程が大きな自信・ 充実感そして人生の糧になるものと私は信じます』。(中略)最後に『人生そして柔道上達の成功の鍵は 「目標を持つ」「力必達」「素直な心」の精神が大切であると思います』と結んでいる。

 中西さんの柔道「三つの心」は、いかなる道にも通じる哲学といえよう。

(この稿完)



写真は、左 中西英敏氏 右 栗田利広副理事長


(HIRATUKA 市民ジャーナル 連載記事より抜粋)

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