42.平塚柔道物語・その42
柔道上達成功の鍵−中西英敏東海大柔道部前監督
昭和59年、中西英敏さんはロサンゼルスオリンピックの柔道に出場。優勝候補と期待されたが、
1回戦で肋軟骨を折ってしまったのである。しかし、その痛みに耐えながらも試合を続け、第5位という成績を残した。
その強靭なる精神力に驚かされる。
その後、東海大監督になってから、五輪の無念さを選手育成に生かしている。教え子の井上康生、塚田真希などは、
世界選手権大会やオリンピックで金メダルを獲得しているのだ。
平成20年に新しく建てた中西さんの道場の入口右側には、刺繍の額が飾ってある。それには「これまでの長さに渡り、
東海大学男子柔道部のために、精根尽きるまで、ご指導いただきましたことに我々一同心から感謝申し上げます。
東海大学男子女子柔道部OB一同」と記されてある。「精根尽きるまで」が印象的であるが、
中西さんの柔道に対する一貫した姿勢を物語っているのであろう。
わが平塚柔道協会の中に、東海大学で中西さんと同じ釜の飯を食った同級生がいる。それは、
協会の副理事長の栗田利広5段である。彼は人間としてなかなか深みがあり、年配者と若い人達の間に入って、
協会を上手に取りまとめている中心的人物である。
また、道場では、中学生から社会人までの指導責任者でもある。中西さんと学生時代から交流が深い彼は、
「中西君の柔道に対する真摯な姿勢にはいつも感心していた。猛練習が終わった後も、
相手を見つけては遅くまで技の研究をしていた」と当時を懐かしく語っている。
のちに中西さんは、全柔連発行の雑誌に「柔らのこころ」というタイトルで執筆している。
『私は運よく世界一になったり、オリンピックに出場するという経験をすることができましたが、
決してエリート選手ではありませんでした。インター杯の出場経験もなく大学に入りました。
この私がなぜ世界チャンピオンになれたのか、今振り返ると、それは「夢への挑戦」であり、
自分の「世界チャンピオンになりたい」という夢をなんとしても達成したいという気持が強かった。
つまり「目標なくして進歩なし」という言葉を常に胸に、頑張り続けることができたことが要因だと思っています。(中略)』
また、最終目標を設定して頑張っても、目標を達成することが叶えられない時もあるかと思います。しかし、
私は目標に向かって「力必達」を実行するというその過程が一番大切であり、この頑張りの過程が大きな自信・
充実感そして人生の糧になるものと私は信じます』。(中略)最後に『人生そして柔道上達の成功の鍵は
「目標を持つ」「力必達」「素直な心」の精神が大切であると思います』と結んでいる。
中西さんの柔道「三つの心」は、いかなる道にも通じる哲学といえよう。
(この稿完)
写真は、左 中西英敏氏 右 栗田利広副理事長
(HIRATUKA 市民ジャーナル 連載記事より抜粋)
|