41.平塚柔道物語・その41
世界選手権大会で優勝−中西英敏東海大柔道部前監督
昭和58年10月、第13回柔道世界選手権大会出場。中西選手の長年の夢であった日本のチャンピオン(71kg以下級)になり、
さらに世界大会に出場できたのである。
「夢は必ず実現する」と心に誓ってきたものの、「自分もいよいよ世界の舞台に登場する時が来たのだ」と思うと、
胸が高鳴るのを覚えた。日本の代表として、プレッシャーもあったが、「誰にも負けない稽古をしてきた」自信と
「やるべきことはやる」という腹の決め方で、落ち着いて大会に臨むことができた。
中西選手は2回戦から登場。ルーマニアの選手を得意の一本背負いで技有りを取り、3回戦にのぞんだ。
その相手こそ、3年前のソ連国際大会の決勝で敗れて悔しい思いをさせられた、ナムグラリという選手である。
さすがに地元ソ連の選手として声援が多かった。それが中西選手にとっては、かえって闘志を湧かせた。
相手は「今回もいただくぜ」という顔で、えりを持つとすぐに体を接近してきた。それは得意の帯取り返しを狙っていたのである。
中西選手は、前回の轍を踏まぬと一定の距離は保った。
3年前に負けた後、彼との試合を想定して対策を研究してきたのである。その手法が功をそうした。
相手はとうとう自分の得意技を掛けることができなかった。中西選手は小内刈りで技有りを取って勝利し、
3年前の仇をとった。
自分の研究と練習方法が活かされたと思うとうれしかった。今までの溜まっていた胸のつかえが取れ、
準決勝では彼の技がさえる。メロリ選手(フランス)を送り襟絞めで一本勝ち。見事な勝ち方に声援が飛ぶ。
こうなると火の玉小僧(ニックネーム)の勢いは誰にも止めることが出来なかった。決勝の相手はイタリアのガンバ選手
(モスクワ五輪の優勝者)である。中西さんは得意の一本背負いで有効を取り、
そのまま崩れ上四方固めでガッチリと抑え込んでしまった。「一本」という審判の声。ガッツポーズで喜ぶ中西選手。
試合場から駆け降りると、中西さんは大粒の涙をこぼしながら、
東海大の恩師である佐藤監督や先輩の山下選手と抱き合って喜んだ。
完全勝利。見事な勝ち方に地元ソ連の観衆の拍手が鳴り響いた。中西さんは、「夢を見ているようです。
本当に嬉しい。ガンバの帯を取ったところまでは覚えているのですが、あとは夢中で、
何が何だかわからないうちに30秒が過ぎていました」と喜びの声。
佐藤監督は、「気持と技が完全に一致していた。最高の出来」と評価。さらに、「中西は天才型ではなく、
努力型、研究型の選手だ。今までの苦労に花が開いたのだ。続いて来年のオリンピック目指していっそう頑張ってほしい」
と頼もしげに見つめていた。
−以下次号−
写真は、柔道世界選手権大会(ソ連)で見事優勝した中西英敏選手
(HIRATUKA 市民ジャーナル 連載記事より抜粋)
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