33.平塚柔道物語・その33
「人生の金メダルを目指して」の東海大山下教授の講演
「人生の金メダルを目指して」と題して、東海大山下泰裕教授の講演がいよいよ核心にせまっていった。
柔道部監督時代の話である。全国から日本一を夢見た強豪の選手が柔道部に入ってくる。
その選手達を指導育成していくのが山下さんの役目であった。その選手の中にBという選手がいた。
練習の姿にやる意欲が今ひとつ欠けているという彼のことを、「駄目な男だ」と思っていた。
そんなある日、柔道部に輸血を求める母親が訪ねて来た。彼女の子供は白血病であるという。
皆も快く承諾をした。
その後、山下さんは見舞いに行く。お子さんの顔を見て驚いた。「助からないのでは」と思ったという。
ところが、数ヶ月すると、母親が道場にお礼に来たのである。
「皆さんのお陰で、病気の子供が元気になりました」と、さらに、「皆さんのご協力はもちろんですが、
特に子供に対して何回も激励の手紙を下さり、見舞いにも来ていただいた方がおりました。
どれだけ私たち親子は励まされたことでしょう。その方に心よりお礼を申し上げたいと思います。」
山下さんは「えっ、それは誰ですか」と聞く。驚いた。そしてそれがB君であると知り、さらに驚いた。
山下さんは自分の耳を疑った。「俺はB君は駄目な男だと決めつけていた。人の一面だけしか見ていなかったのである。」
山下さんは彼を呼び、皆の前で「B君よくやってくれたな!ありがとう。ありがとう」と心から賞賛した。
B君は高校時代は県代表優秀選手であった。だが、各地から強豪選手の集まる東海大学柔道部では、レギュラーになれなかった。
1年2年は頑張ったものの、3年4年の時には悩み苦しんでいた。だからこそ、病気で苦しんでいる子供さんに対しても、
やさしく出来たのであろう。
人間は誰でも苦しい時がある。悩む時がある。心の葛藤がある。そんな時の指導者の暖かい一言は、
本人にとってどれだけ励みになることか。
「振り返ってみると、俺は一度だって彼の肩をたたいて激励したことはなかった。俺は今までエリートコースを歩んできたから、
陰で苦労している選手の気持を分かろうとしなかったのだ」と、指導者として自分の未熟さを反省したという。
最後に山下さんは言う。「柔道が強ければ金メダルは取れる。だがそれは、人生の中の一瞬である。
そのあとの人生の方が長く、また重要なのではあるまいか。オリンピックの金メダルよりも、
人生の金メダルを取ることの方が大切である。」と結んだのであった。
終始、過去の栄光、自分の華々しい活躍の話をすることなく、自分の未熟さを皆に紹介し、
さらに前向きに挑戦していく山下さんのいさぎよい、勇気ある生き方に、私は心から感動し、
山下さんの人柄が人生の金メダルのように輝いて見えた。
写真は、平成17年10月22日 平塚市教育会館で山下泰裕教授と
平塚柔道協会役員と少年達(前列左側2番目が筆者)
(HIRATUKA 市民ジャーナル 連載記事より抜粋)
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