32.平塚柔道物語・その32
感動した山下泰裕東海大教授の講演
平成21年1月16日、NHKのテレビで「外国人に一度も負けなかった男=世界最強の柔道家」というタイトルで、
東海大学教授の山下泰裕氏の特別番組が放映された。今までのたたかいで勝ち抜いてきた活躍が、
いろいろ紹介されたが、最後に山下さんの言ったことばが心に残った。
それは「過去の栄光よりも、これからどう生きるか、前を向いて生きることの大切さ」を説いていたのである。
現在、山下さんは、神奈川県の体育協会会長でもあり、柔道以外でも講演など多角的な活躍をされている。
平成17年10月22日。平塚市の教育会館で、山下さんの講演を聴く機会があった。
これは、市と東海大学交流20周年の記念事業であり、参加者も柔道関係者を含め300人近かった。
講堂に入る前に控え室で名刺を交換する。その時、山下さんは「私の教え子である真田君(浜岳中教師、柔道部顧問)は
元気ですか」と聞いてきた。私は「頑張っていますよ。選手の育成はすばらしいです。」と答えると、
「そうですか。そんなに頑張っているのですか」と心から喜んでおられた。
講演タイトルは「人生の金メダルを目指して」であったが、初めは少年時代の話から始まった。
小学校時代は体が人並みはずれて大きく、いたずら坊主。いたずらが過ぎたのか、力がありすぎたのか、
同級生たちは「山下が学校に行くのなら、俺達は行かない」と、現在でいう不登校にさせてしまったという。
その後は大きな体を生かし、よき師にも恵まれ、柔道のエリートコースを進んで行った。全日本選手権で9年間も連続優勝し、
ロサンゼルスオリンピックで金メダルも獲得、無差別級なので、実質世界1の実力者となったのである。
私もテレビで見ていたが、痛めた足をひきずりながら、すべて1本勝ち。見事であった。「日本柔道万歳」と叫びたくなった。
それだけ国民に元気を与えたのである。
山下さんは、オリンピックのあと、郷里の熊本県に帰郷。錦を飾る。その時のエピソードが面白い。
小学校の同級生が幟(のぼり)を立てて迎えてくれた。よく見ると、不登校にさせた同級生が中心であった。
さらに、祝賀会を開いて、賞状をくれたという。その内容が、ふるっている。「山下君はオリンピックで見事優勝し、
金メダルを獲得。その事で多くの国民に大いなる希望と誇りと元気を与えてくれた。その功績は大である。
よって過去の罪は許す」と書かれていた。
山下さんは感激した。恨まれてもやむをえない同級生からの好意だけに、何よりも嬉しかった。
現在、金メダルは飾っていないが、その賞状は、今でも大切に部屋に飾ってあるという。
人は誰でも、自分の恥ずかしいことは話したくないものであるが、山下さんが少年時代の失敗談を話したことにより、
親しみを持つ。
さらに、話の展開で思わず引き込まれ、私は感動した。さらに心に残る話が続く。
−以下次号−
写真は、山下泰裕教授に平塚の特産品バラワインを渡す筆者
(平塚市教育会館で、平成17年10月22日)
(HIRATUKA 市民ジャーナル 連載記事より抜粋)
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