30.平塚柔道物語・その30
柔道出身「朝酒井」と高校の恩師 多田功五段
湘南高砂部屋講演会(田代清美会長)のパーティーが、10月7日の夜、総合公園のレストラン大原で行われた。
相原光治副会長の挨拶で開会。10数人の力士の中に、髷を結い、浴衣姿の朝酒井(酒井泰伸)がいた。
彼は平塚柔道協会の出身である。
久しぶりに見る酒井君は、輝いて見えた。そこで2年ぶりに、彼の恩師である多田功教師(現在県立厚木高校・
当時は県立五領ケ台高校)と会ったのである。多田氏は、平塚柔道協会の東海大学出身三羽烏(栗田利宏5段、
多田功5段、真田州二郎3段)の1人で、現在小中学生の指導を担当している。
また、中学生までなにもスポーツをやらなかった酒井君を1から教え、柔道2段まで育てた恩師である。
多田氏は酒井君の大相撲進出には、最初から賛成ではなかった。彼のやさしい性格から、あの厳しい相撲の世界には
合わないのではないかと、一番心配していたからである。
酒井君の動かぬ決意を知り、やむなく了解したのであるが、その後も彼の進路を真剣に考えていたのである。
彼は久しぶりに浴衣姿の酒井君を見て、「お前、本当に立派になったなぁー」と言った。
その後の激励の一言は、酒井君の将来を心配する厳しくもあり暖かい恩師の言葉であった。
「お前なぁー、あらゆるプロの中で一番厳しいのが相撲界だ。親方を信じて、自分を信じて、最後までやり切れよ。
先生も皆といっしょに応援しているからな」と。酒井君は目を赤くしながらもうれしそうに先生の手を硬く握りしめていたのである。
思えば平成18年3月、五領ケ台高校の卒業式前日のリハーサルで、一足先に1人だけ卒業証書をもらった。
校長先生がその席で、力士になることを皆に紹介すると、仲間達の大きな声援が飛んだ。
彼は恥ずかしそうに一言「頑張ります」と小さな声で挨拶した。私もその席に同席していたが、
そのあと大阪場所に駆けつけていくのである。
酒井君は身長188cm、体重155kgで、新弟子検査に堂々と合格し、序の口からスタートしたのである。
そして序二段になり、今年の春場所では5勝2敗の好成績で、三段目に上がった。三段目の上位ならば、
衛星放送で彼の取り口が見えることになる。
残念ながら、夏場所は負け越して序二段に戻った。何とかここで自分の取り口に自信を持ち、白星街道を駆け抜けてほしい。
私も彼の勝負結果を新聞で見る度に、胸がドキドキし、いつも祈るような気持である。
かつての「名人横綱」と言われた栃錦は、普段温厚な人柄でもまわしを締めたときには別人になる。
土俵に上がる時は「必ず勝つ」と腹を決めて臨んだという。
腹の決め方は、固ければ固いほど力を発揮し、勝つ確率が高くなるのである。喜びも悲しみも腹の中に秘めて、
毅然として戦う心構えこそ、勝負の要ではないかと私は思う。
多田氏は私に思い出を語ってくれた。
−以下次号−
写真は、握手する朝酒井と恩師多田功5段
(HIRATUKA 市民ジャーナル 連載記事より抜粋)
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