平塚柔道物語その28
平塚柔道協会 会長 奥山晴治
2008年10月1日

28.平塚柔道物語・その28

2冊の本を出版・平塚在住格闘技作家 丸島隆雄氏

 日本の「柔道」は今や日本だけのものではなく、世界の「JYUDO」となっている。

 今から百年前、明治の日本を飛び出して、世界の格闘技の強豪をなぎ倒し、日本の柔道を大いに広めた人物がいた。 それは、前田光世という柔道家である。

 私は少年時代、柔道の好きな父に彼の活躍をよく聞かされたものだ。 プロレスやボクシングと闘い、生涯無敵を誇った彼の武勇伝であった。私は目を輝かし、何回も血沸き肉踊る気持になった。

 日本の柔道が世界に登場した陰には、前田光世という柔道家を忘れてはならない。 その柔道家に光をあて『前田光世−世界柔道武者修行−』(島津書房)というタイトルで300ページの本を著した格闘技作家が、 この平塚にいる。

 その人は丸島隆雄氏である。彼は、東海大学文学部卒、歴史好き、格闘技好きという。平塚市職員、46歳である。

 平成9年にこの本が発刊された時、私はすぐに飛びついた。私は少年時代に父から聞いた話を思い浮かべながら、 一挙に読んでしまった。大変読みやすいと同時に、よくぞここまで調べ、まとめたものだと感動した。 参考文献も50冊以上にのぼり、国会図書館にも何回も通ったという。

 物語として読めば、映画化されてもよいほど面白いともいえよう。また、丸島氏の時代背景を捉えた論評もなかなか良い。

 「明治の日本は国家の目標が明確であった。そうした時代の中で、多くの日本人はさまざまな“志”を胸に掲げていた。 皆が“坂の上の雲”を見ながら、それぞれの坂道を上がっていった時代なのである。」

 前田光世の生き方は、そんな明治の生き方をも教えてくれるのである。 ・・万が一、前田が負けるようなことになれば、それは前田個人の敗北ではなく、 講道館柔道の敗北であり、惹いては“日本”という国の名を汚すことになる。 明治のサムライ前田光世に負けることは許されなかったのである」

 格調高い彼の捉え方は、なかなか深みがあって、私の心を捉えて離さなかった。 また、柔道の歴史からいろいろな問題が明らかになる。

 「講道館柔道は突き、蹴りの防御技術は切り捨てられ、競技スポーツ化されて、 現在の柔道になっていることなど」柔道を愛する人にとって誰でもこの本は一読したいものである。

 平成17年2冊目の本を出版。「講道館柔道対プロレス初対決・大正10年サンテル事件」(島津書房)であった。 この本も、柔道のスポーツ化の歴史を検証した貴重な一冊となろう。

 丸島氏は小学生の数年間、市内の見附台柔道場に通ったことがあった。今でも受身は上手だという。 その後、柔術の道場にも通い、関節技や打撃技も学んでいる。

 平成2年の公式空手道平塚大会では、優勝の経験もしている。彼の座右の銘は「力必達」「つとむれば必ず達す」で、 努力することの大切さを強調している講道館創設者の言葉である。 温厚な彼の人柄、自己の才能をひけらかさない謙虚さ、そして優れた文筆。

 一晩ゆっくり、お酒を飲みながら語り明かしたい人である。


写真は、自著を手に 丸島隆雄氏


(HIRATUKA 市民ジャーナル 連載記事より抜粋)

戻る