27.平塚柔道物語・その27
平塚のやわらちゃん関東大会で優勝
3連覇をかけた北京オリンピック柔道・やわらちゃんの谷亮子選手は、準決勝で負け、結果は銅メダルになってしまった。
残念ながら谷選手の準決勝の試合運びは、常に指導権を握っているという彼女の強みを見せることができなかった。
今回、平塚に新時代のやわらちゃんが出現した。平塚柔道協会会員、市立浜竹中学校3年女子の唐木遥香選手である。
彼女は去る8月10日、平塚市総合体育館で行われた関東中学校柔道大会女子の部で優勝した。谷選手と同じ48kg級であった。
彼女は決勝戦まで、同じ相手に対し積極的に攻め、指導権を握っていた。
1回戦は千葉の選手、2回戦は東京の選手を、同じ背負い投げで一本勝ち。
準決勝は群馬県の選手を一本背負い投げ、優勢勝ち。決勝では東京の選手を終始攻め抜いて判定で勝った。
私も役員になっていたので壇上から宮尾隆之副会長と一緒に観戦した。見事な勝ちっぷりに感動する。
誰もが応援したくなるような理想的な試合運びであったからだ。彼女は輝いていた。花のある選手である。
唐木選手は、やわらちゃんと同じく小学校1年生から柔道を始めている。
当時はおデブちゃんと言われ、いじめられ、それが悔しくて柔道を始めたという。
始めは藤沢市の遠藤道場、さらに寒川町にある室田道場で揉まれながら、めきめき強くなっていった。
小学4年生で神奈川県代表となり、5年生では40kg級で全国5位、さらに6年生では、45kg超級で全国2位となった。
中学1年の時は関東大会で第3位、全国では第5位であった。
2年生になると、平塚市に転居。浜岳中学柔道部と平塚柔道協会に入会する。
道場一筋から部活の団体生活を初めて経験し、団体競技の魅力なども知ることになる。
ただ残念なことは、この年は県の大会で優勝できず、全国大会にも出場できなかったのだ。
悔しかった。なぜなの? 自分を見つめ、いろいろ反省した。今までが良かっただけに、いい調子になっていたのではないか。
心構えを反省すると同時に、人間関係なども学び人間的に一歩成長。
そして大きな収穫は、苦手だった寝技をものにしたことだ。柔道部顧問の真田州二郎仕込の寝技であった。
そこで、寝てもよし立ってもよしの遥香に成長したのだ。
真田教師は彼女のことを「勝とう勝とうという柔道から、勝てるという柔道に変わってきたようだ」と語る。
そこで彼女本人に私は聞いてみた。「勝とうと思うと体が固くなってしまい、本来の力がでない。
逆に、試合を楽しもうという心構えで出場すると、プレッシャーにならず、力を発揮できる」と答えた。
試合にどういう気持で望めば最も力を発揮できるのか、大変重要な課題であるが、今までの経験からすでに学び取っていたのだ。
その後、8月22日の全国大会では、各県の強豪を相手に堂々たる第3位に入賞している。
また、6月にあった20歳未満48kg級の大会で、中3の彼女が、高校生や大学生を倒して県で優勝しているのだ。
今後が楽しみである。
写真は、右から宮尾隆之副会長、唐木遥香選手、奥山晴治会長、真田州二郎教師
(HIRATUKA 市民ジャーナル 連載記事より抜粋)
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