21.平塚柔道物語・その21
真田州二郎の指導を実践した男・東海大浦安高校主将 木村大樹(下)
東海大浦安高校柔道部の木村大樹は、1年生の時は大変悔しい思いをした。
レギュラーとして大会に出場できず、さらに肩を脱臼してしまい、思い切った練習はできなかった。
仲間はどんどん強くなり、大会で活躍する。そんな仲間の活躍の陰で、自分はもう柔道をやめようかとさえ思った。
その思いをとどまらせたのは、浜岳中学時代の恩師真田先生の存在であった。
自分をいつも信頼し期待してくれた真田先生を思うと、やめるわけには行かなかった。
そんな葛藤と戦いながら頑張り続けて行ったのである。
2年生になると、何とかレギュラーの座を勝ち取った。そして徐々に頭角を表わし、主将に選ばれたのである。
そんな彼には、1年生の時に苦労した体験が思いやりにかわっていく。そして主将としてなすべきもっとも大切なことは、
部員一人一人と信頼関係を築くことだと彼は思った。
中学3年生の時の担任教師が真田先生であった。ある時、真田先生は木村に「大樹たのみがある。
クラスの中のA君が皆と溶け込めず、ひとりポツンとしている。悪いけれど時々声を掛けてやってくれないか」という。
先生は俺をこんなに信頼してくれている。生徒の一人一人をこんなに心配してくれている。
そんな先生の人間性に心を打たれた。また、先生は生徒全員を苗字ではなく名前で呼んだ。
それは皆家族と思っているからだとよく言っていた。不思議に名前を呼ばれると、
先生との距離が縮み、先生がお父さんやお兄さんのように思えてくるのであった。
柔道部の中でも、強い選手も弱い選手も分け隔てなく公平であった。
そんな真田教師のふるまいを、自分も実践してみようと木村は決意した。
彼は主将として部員を皆名前で呼び、家族のようにふるまった。そして、強い選手も弱い選手も分け隔てなく平等に接した。
練習の時は厳しく叱咤するが、それ以外はおおらかであった。
後輩や仲間がミスをすれば自分の責任として、進んで先生から怒られた。
そんな彼の人柄に人望が集まり、さらに結束力につながって行ったのである。
まさに真田の教えを彼なりに実践したのだった。
平成19年7月、高校の全国大会が佐賀県で行われ、浦安高校は千葉県代表となり、木村は大将で出場した。
準々決勝で強豪の東海大相模と対戦する。4人の選手は全員負けてしまったが、彼のみ優勢の中で引き分けとなり、
主将としての面目を保った。
優勝はできなかったが、全国第5位に輝いた。
先日私は木村に「真田教師に出会ってよかったことは?」と聞いた。彼は「柔道も生き方もすべてです」と即答した。
そのことを教師の真田に伝えると、彼は「人の心をくみ取ることのできる人間に育てた親がすばらしい」とさらりと答えた。
その一言に彼の人柄がすべて含まれていると私は思った。(以下次号)
写真は、前列中央が主将を努める木村大樹
(HIRATUKA 市民ジャーナル 連載記事より抜粋)
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