平塚柔道物語その20
平塚柔道協会 会長 奥山晴治
2008年2月1日

20.平塚柔道物語・その20

真田州二郎の指導を実践した男・東海大浦安高校主将 木村大樹(上)

 東海大浦安高校といえば、千葉県を代表する柔道の強い高校である。 その柔道部で、この1年間主将として活躍してきた木村大樹という選手がいる。 現在3年生で、浜岳中学校の出身である。

 179cm90kgの堂々たる体格の彼が、久しぶりに母校浜岳中の柔道部の初稽古に顔を出した。 今年の正月、学校の浦安寮から平塚の実家に帰ってきたからである。

 彼は後輩に稽古をつけながら、教師の真田に近況報告をし、また私に浦安高校の柔道3年間の生活について語ってくれた。

 彼の浦安高校柔道部入部のきっかけは、中学3年生の時、教師の真田に出稽古に連れて行ってもらったことだ。 熱気あふれる空気に魅力を感じ、すっかりこの学校が好きになってしまったという。

 平成17年4月、希望通りこの学校に入学する。そしてあこがれの柔道部に入部。 ところが、いっしょに入ってきた同級生の仲間を見て驚いた。 何と、東北や九州のチャンピオン、各県のエリート選手ばかりである。

 練習をしてみると、自分よりもはるかに強い。木村の実力は、彼たちよりもずっとランクが下であった。

 木村は途方にくれた。「このまま同じ練習をし、同じ速度で成長をしていたら、 今後の3年間はレギュラーとして大会に出場できないのではないか。俺は道を誤ったのか」と不安にかられた。

 その時彼は、浜岳中柔道部の3年間を思い出したという。

 真田先生は常に「大樹、今度はこうやり、ああやれ」と、次から次へと指導してくれた。 しかし俺は、真田先生が口を酸っぱくして言ってくれたことを本気でやってこなかった。 いつも一歩手前で逃げてきたように思う。これが俺の弱さではなかったのか。

 県大会でも90kg級でもう一歩というところで勝てず、関東大会に出場できなかったのだ。 「そうだ。これからの3年間は、自分の弱さに挑戦してみよう」と決意した。

 翌日から猛然と練習に取り組んで行く。

 教師の真田は良く言った。「大樹、人に勝つためにはまず勝つという意欲を持て、 さらに勝てるという自信を持つだけ練習することだ」と・・。先生の厳しい一言一言が身にしみて思い返された。 一人になった時、暖かな励ましとなったのである。

 彼は、人の2倍3倍努力しようと心に誓った。学校の練習後も、一人で駆け足トレーニングや筋肉トレーニングに励む。 練習のない休日でも一人、仲間を連れて打ち込みの練習と技の研究に没頭した。

 それから1年、彼は2年生になるとエリートの仲間の中でも頭角を現してきたのである。

 黒潮旗(東海大学主催全国オープン戦)の大会で大活躍し、千葉県の大会でも90kg級で優勝する。 そして、競合ぞろいの仲間の中で、木村が主将に推薦されたのであった。

 彼は言った。「すべて中学で教わった真田先生の指導を本気で実践したからにすぎません」と・・。

 だが、主将になるとまた新たなる悩みが出現する。 それは、個性の強い仲間や後輩をどうまとめ、どう活かしていくかということてあった。 それは木村にとって、新たな自分への挑戦となって行くのでる。(以下次号)


写真は真田州二郎教師と木村大樹選手


(HIRATUKA 市民ジャーナル 連載記事より抜粋)

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