平塚柔道物語その19
平塚柔道協会 会長 奥山晴治
2008年1月1日

19.平塚柔道物語・その19

多くの選手を育てた浜岳中教師・真田州二郎の指導力

 昭和35年当時、私は高校柔道部の主将として柔道部員30名を前に厳しく叱咤した。

 「やる気のない者は即刻去れ。本気でやる気の者だけが残ればいい・・」と。だが、誰一人として去る者はいなかった。

 さて数年前、近隣の高校柔道部の話を聞いた。そこの指導者が私と同じような言い方で叱咤したところ、 翌日から誰も来なくなったという。

 その話をした方が言った。「最近の若い者は、厳しさに耐えられないのではないか。 ださい、くさい、痛いの柔道は、いまの時代人気がないのでは」と嘆きながら。 そして最後には、時代が悪いと決めつけていた。私もその話を聞き、淋しく思いながら同感していた。

 しかし、その見方は全くの誤りであった事に気が付いたのである。 それは、真田州二郎という一人の柔道の熱血漢が市内の大野中学校に教師として現れてからは・・。

 彼は次から次へと筋金入りの柔道を愛する生徒を育て、多くの素晴らしい選手を輩出したのである。

 現在は浜岳中学校に勤務しているが、彼の指導により生徒が技術面も精神面もどんどん成長していくのが見える。

 那須君という100kgの生徒が1年半前に入部した。彼は今までスポーツらしいスポーツをやった経験がなかった。 「あんなスローテンポの動きで続くかな?」と心配して見ていたが、現在では立派な選手に育っている。

 浜岳中の柔道部を訪問すると、すごい熱気である。50名近い部員が、汗、汗、汗の中で生き生きと練習に励んでいる。 そのまわりには肩の鎖骨を折った女子部員が足のトレーニングをやり、 足を痛めた松葉杖の男子部員はバーベルを使って腕の筋肉を鍛えている。全くの自主トレーニングである。

 そんな情景を見ると、『最近の若い者は』という考えは全く消えてしまうのである。

 保護者の方々は「練習や試合で骨を折っていたはずなのに、練習を休まない。 そんなたくましさや根性をいつ身に付けたのか」と驚いている。夜には、平塚柔道協会に出稽古に来ている。

 今年の秋、かつて全日本の100kg級で優勝した経験のある平塚市在住の庄司武男氏が指導に来てくれた。

その彼に向って、猛然と10数名の生徒が飛んで行き、稽古をお願いしていた。 その積極性に、私と庄司氏はただただ驚くばかりであった。庄司氏は言う。 「これは生徒が優秀なのか、それともそのように育てた指導者が優れているのか」と・・。  真田州二郎氏に出会って柔道を教わった者の多くは、人間が変わったように真面目で意欲的になっていく。 それは、彼の指導によるものに違いない。

 指導力は柔道だけでなく、親と子の世界を初め、あらゆる社会の中で重要視されている。

 そこで、彼の指導力について私なりに分析し、今後述べてみたい。

「闘魂」旗の前で熱のこもった練習をする浜岳中柔道部


(HIRATUKA 市民ジャーナル 連載記事より抜粋)

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