15.平塚柔道物語・その15
文武両道の努力家・県立小田原高校生の細井岳(たかし)
平成14(2002)年4月真田州二郎教師は、5年勤めた大野中学校から同じ平塚市内の浜岳中学校に移った。
また柔道部も一から出直しであった。
必死で集めた柔道部員は13人、そのうち1年生が10人であった。その中に、細井岳という生徒がいた。
現在は県立小田原高校の3年生で、柔道は2年連続で66kg級で神奈川県第3位になっている。
彼は学力も優秀である。そんな彼が、私に中学時代の思い出を語ってくれた。
中学1年生の11月頃、担当の真田先生に「お前なら柔道で関東大会に行けるぞ」と柔道部に誘われた。
その一言で入部したものの、毎日の厳しい練習について行くのがやっとであった。同級生にも投げられっぱなし。
毎日悔しくて泣いていたという。
その3ケ月後、50kg級で中ブロックの大会に出場。出場者が少なかったからか、何と彼は優勝したのだ。
それが転機となって柔道が楽しくなり、本気で取り組むようになった。
朝は7時半からランニング、昼は腕立て伏せ150回。放課後の部活の練習。夜の協会への出稽古。
正に柔道の虫となった。彼は、学校の成績も優秀であったが、これだけ柔道に時間を当てると、
勉強がおろそかになるのではないかと彼自身心配し、悩んだ。これを克服するには、頭の切り替えをするしかないと想い、
昼間の学校の授業に真剣に取り組んだ。そして柔道の稽古で学んだ集中力を大切にした。
さらに、弱い自分に妥協するなという真田先生の指導を、試験勉強の時に活用した。
お陰で、常に学校の成績はクラスで上から1〜2番であった。
柔道の成績も、中学2年の時、55kg級は中ブロックで優勝。県では8人の中に残る。
中学3年の時はさらなる躍進をとげる。県大会では準決勝まで進み、優勝したK選手(全国大会で優勝)に当たり、
惜しくも第3位。3位が2人いるので、3位決定戦を行った。それが関東大会出場権を得る重要な戦いとなった。
はたして勝てるかと不安がよぎる。そんな彼の顔を見て、真田教師は「お前なら必ず勝てる」と彼を激励。
彼は一変して強気になる。なかなか勝負がつかず、時間切れ寸前にかけた彼の背負い投げが1本決まり、出場権を得たのである。
「よくやった」と真田先生の顔がほころぶ。その後ろにいた母は泣いていた。
試合前の日まで、食事にいろいろ気を遣ってくれた母である。よほどうれしかったのであろう。
母の姿を見ながら、自分の人生は一人ではない。自分を取り巻く影の人たちに支えられていることに気が付いた。
この自分を支えてくれる人達のためにも頑張るんだと思うと、大きな勇気が湧いてきたという。
この時の思いを忘れず、数少ない県立高校の選手として、県内で活躍している細井岳君である。
写真は向って左から細井岳選手、真田州二郎教師(浜岳中)、白石宣広教師(同)
平成16年8月関東大会の会場で
(HIRATUKA 市民ジャーナル 連載記事より抜粋)
|