平塚柔道物語その13
平塚柔道協会 会長 奥山晴治
2007年7月1日

13.平塚柔道物語・その13

長野県の高校で伸びた男・大野中卒東海大生の野添隆一

 野添隆一、東海大学3年生。全国体育系選手権大会73kg級第2位。 高校時代は長野県で無差別級に優勝し、実質的長野県高校チャンピオンになった男である。

 平塚市立大野中学校柔道部には、同級生の升水翔兵(中学校全国第2位)の紹介で入部。 それまではサッカー、空手、野球、ピアノなどに次々と挑戦するが、長続きはしなかったという。 1つのものに本気で取り組むということは、自分ではできないのではないかと思ったが、どうやら柔道で落ち着いた。 それは、大磯中学校との練習試合で初めて相手に勝つ感動の体験を味わったからだ・・。

 野添は語る。「確かに練習は厳しかった『もっと技をかけろ』と真田先生は自分を追い込んでくる。 なぜそこまできついことをしなければならないのかと思った」。

 「先生は、最悪状態まで頑張らせた。ごまかしているとすぐ『疲れていない』と叱る。 先生に見透かされてしまう。中学の思い出は『汗、汗、汗』と『厳しい練習風景』のみであった」と。

 中学3年の時に、66kg級で神奈川県第3位になったものの、柔道部では目立った存在ではなかった。 そんな彼が本当に伸びたのは高校に行ってからだった。

 中学を卒業すると、長野県の東海大学三高に入学。柔道部で練習に励む。 身長も中学卒業時より6cm伸びて179cmになり、体重も73kgに増える。

 そして迎えた高校2年の新人戦県大会で、73kgのまま81kg級に出場し、優勝した。

 続いて春の大会では、無差別級に出場。あれよあれよという間に、決勝まで行ってしまった。 相手は120kgの巨漢である。彼より50kg多いことになる。

 苦戦ではあった。しかし、野添は苦しければ苦しいほど力を発揮する男であった。 それは、中学時代真田先生より徹底して仕込まれた「最悪状態の中で力を発揮する精神力」が身についていた結果であった。

 彼は120kgからくる強引な払い腰や内股にもよく耐えながら、 得意の巴投げと小内刈で有効を取り、堂々と優勝したのである。

 平成16年の春であった。継続していけば、下積みの苦労は必ず花が咲くものである。 このような実績を背景に、彼の夢であった真田先生の母校、東海大学に堂々と入学する。

 何よりもうれしかったことは、彼を柔道に導いてくれた恩人升水翔兵と、また柔道部で出会ったことだろう。

 今後、東海大学柔道部の選手として、升水翔兵とともに野添隆一も大いに期待したい。


将来を嘱望される東海大学の野添隆一、
大野中時代の恩師真田州二郎先生と
平塚市総合体育館柔道場で


(HIRATUKA 市民ジャーナル 連載記事より抜粋)

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