平塚柔道物語その10
平塚柔道協会 理事長 奥山晴治
2007年4月1日

10. 平塚柔道物語・その10

大野中学の女子三羽烏・筆頭は努力の人 青木愛

 真田州二郎教師の目線は、常に全国大会に向いていた。平塚市立の大野中学校が全国に名前を知られるようになったのは、 毎年全国大会に選手を送り出し、入賞させたからであった。

 そんな大野中学校に初めて女子の三羽烏が登場した。青木愛(あい)、塩澤茜(あかね)、 仁藤愛(めぐみ)の3人の選手である。この3人は、第33回の全国大会に神奈川県代表で団体戦に出場したのである。

 その1人の青木愛は中学から柔道を始め、わずか2年で全国の舞台で大きな輝きを放った1人である。

 柔道部に入った時、直感でもうやめられないと感じたという。その空気は、真田氏の情熱そのものであったのだろうか。

 彼女は私に語った。「真田先生は、大変厳しい人であったが、言っていることは常に正しかった。 なぜ自分がおこっているのか、その理由を納得するまで話してくれた。同時に、私達の意見を生徒の目線でいつも聞いてくれた」。 また、「先生は私達をよく出稽古に連れて行ってくれたが、皆柔道の強い高校ばかりであった。 普段の練習を試したのだ。柔道のみならず、伊勢原の向上高校のレスリング部にまで出稽古に行き、 『レスリングの技を盗め』と言ったのだ。その先生の真剣さに感動した」。 出稽古好き、厳しい環境に飛び込めという真田先生の指導の中で、必死な毎日であった。

 中学3年の神奈川県大会で63kg級で優勝。親友でライバルの塩澤茜が2位となった。 塩澤はよほどくやしかったのだろう。そのあとの関東大会で優勝してしまった。 ところが、青木愛は第7位と成績がふるわなかった。やや複雑な心境だった時に、 真田先生は「今のお前の悔しさは、初めの県大会で2位になった塩澤の気持ちなのだ。 そして、塩澤の関東大会での優勝は、お前の県大会で優勝した時の気持なのだ。 しかし、今度は県代表で全国大会の資格を持った青木が、うれし涙を流す番なのだ」と激励。 それから彼女は、朝4時に起床、湘南平で駆け足トレーニングを開始した。 昼休みは腕立て伏せ200回、放課後の部活での練習、夜の柔道協会での練習、 そして総合公園の周囲を走る。真田先生も走ってくれた。

 迎えた全国大会の日、対戦する相手を見ると、今までの猛練習によるものか、 「この相手には勝てる、この人にも勝てる」と、不思議に相手が見えた。 結果は、準決勝まで行き、全国第3位に輝いた。

 その後、高校時代も神奈川県で優勝、全国8位。尊敬する恩師と3人の友人への感謝を忘れない人柄が光る。 さわやかな神奈川大学2年生で、神田高校の柔道コーチである。

写真は第33回全国中学校柔道大会に出場
左から2人目が仁藤愛、右に塩沢茜、青木愛の大野中3羽鳥、
左は大貫奈保子


(HIRATUKA 市民ジャーナル 連載記事より抜粋)

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