9. 平塚柔道物語・その9
坊主頭になった真田教師と升水翔平選手
浜岳中学校教師である真田州二郎氏が大野中学校時代に育てた選手の中に、升水翔平という東海大学の選手がいる。
現在彼は、全国体育系大会60kg級で優勝し、韓国ジュニア国際大会に日本代表として出場し、第3位となっている。
今後のオリンピックにも期待される選手である。その彼が、大野中学柔道部時代の真田先生との思い出を語ってくれた。
「真田先生は、柔道の技術よりも精神面を徹底して鍛えてくれた人だ。
『向かっていく心、妥協しない心、自分に厳しい心』など・・」。
さらに彼は、こんなことも話してくれた。「数多くの大会で優勝しても、
真田先生は一度も『おめでとう』と言ってくれたことはなかった。
中学1年の市内大会の時、55kg級で優勝。中学2年で神奈川県大会で優勝。中学3年生でも同じく優勝。
関東大会でも優勝した。しかし、ほめることはなかった。勝っても負けても厳しかった。
負けたらいつも怒られた。しかし、中学校全国大会で決勝まで進み、僅差の判定で負けて準優勝となったが、
その時、真田先生は初めて『お疲れ様』と言ってくれた」。彼はうれしくて泣いてしまった。今でもこの言葉を忘れないという。
この言葉に千金の重みがあったのだろう。
また、こんな思い出も語ってくれた。中学3年生の11月頃のこと。
「柔道部の練習をさぼっていた仲間に注意をしたところ、『お前は関係ないだろう』という
相手の言葉にカッとなって相手をぶん殴り、怪我をさせてしまった。そのことで校長室に呼ばれ、
こっぴどく怒られた。部活の練習も禁止となった。また、その罰として坊主頭にさせられてしまった。
ところがその時、部活担当の真田先生も、生徒の過ちは俺の責任だと、同じく坊主頭になってしまった。
自分の坊主頭は仕方がないにしろ、真田先生まで坊主頭にさせてしまったことは、さすがにこたえ、辛かった。
今でもそのことを思い出すと涙が出る」という。
一昨年、平塚少年柔道大会のイベントで、升水選手に高校生5人掛けを実施した。
60kgの彼は180cm100kg近い選手を、得意の肩車、背負い投げ、巴投げ、
大外刈等の多彩な技で投げ飛ばし、多くの観客をうならせた。
そのときの進行役は私であったが、その審判をしたのが、彼の恩師真田先生であった。
その時の真田氏の横顔は、「翔平強くなったな」とつぶやいているように思えた。
師匠の人格と弟子の人格が、魂と魂で結ばれたとき、弟子は大きく羽ばたいていくのだ。
写真は大野中時代の恩師真田州二郎氏(浜岳中)
と五輪へ期待の升水翔平選手(東海大)
(HIRATUKA 市民ジャーナル 連載記事より抜粋)
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