7. 平塚柔道物語・その7
冬を春にした男−真田州二郎氏−
平塚柔道の冬の時代にピリオドを打ち、冬を春にさせた男が登場した。平成9年の11月のことである。
この男こそ、現在の浜岳中学校の体育教論真田州二郎氏である。当初は大野中学校に赴任したが、
わずか数年で、全国に共通する選手を次から次へと輩出したのである。
その波動が、現在の平塚柔道協会の中にも新しい息吹を誕生させたと言えよう。
彼の父は柔道家であった。100kgを超す体格の父は、ふるさとの山形では知られた重量級の選手であった。
しかし、彼が4歳の時に父は病で亡くなってしまった。彼は父の柔道着姿を覚えていない。父の思い出といえば、
「体をぶつけ合って遊んだこと」だけだそうだ。
真田少年は、父の後を継ぐかのように、小学校4年生で道場に通いはじめた。
山形市立三中時代、県の大会で優勝、東海大学相模高校と東海大学の柔道部で活躍し、大学を卒業。
教師になったのである。当時は、教師になるのも競争率は400倍近かったという。
さて、話は一変して私の話になる。今から10年ほど前、54歳の時にたまたま古本屋で見つけた
「空手バカ一代」という劇画の本を全巻購入した。
この本は、「極真空手」の創始者である今は亡き大山倍達氏の人生物語である。世界の格闘技の強豪をなぎ倒し、
世界各国に空手を普及した血湧き肉踊る痛快な物語である。
さらに弟子の育成と活躍。またプロレスの力道山や木村政彦(柔道の名人)などの秘話が織り込まれ、
多くの人に感動を与えた。特に、青少年に「極真空手」の道に走らせた本でもあった。
私は青年時代に読みそこなってしまった本のひとつであり、54歳になって初めて読んだものの
大山氏の人物の魅力にすいよせられた。
道を求める大山氏の真摯な生き方は、まさに「空手バカ」と言ってよかった。このような感動を覚えた時に、
私は2人の人物に出会った。
そのひとりは、柔道の真田州二郎氏であり、もうひとりは、極真空手の大山氏の高弟、
清武会代表の西田幸夫氏(平塚市袖ケ浜在住)である。共に道を求める真摯な姿勢と、
弟子を育成する情熱のすばらしさに感動した。
西田氏については、別の機会に述べる。
私には、真田州二郎氏の生き方が、「空手バカ一代」の大山倍達氏の生き方にダブる。
真田氏も、柔道への取り組みと生徒を育てる情熱は半端ではない。
自分に厳しく、謙虚な彼の生き方は、時間が経てば経つほど信頼が増す。
真田州二郎(平塚柔道協会理事)の魅力と歩みについて、今後述べてみたい。
写真は浜岳中学校の柔道部員と真田州二郎教師(中央)、
中央右隣は大野中で初めて育てた金井一超氏(現在助師)
平成18年12月20日
(HIRATUKA 市民ジャーナル 連載記事より抜粋)
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