6. 平塚柔道物語・その6
冬の時代の功労者に感謝!!
総合体育館の柔道場は、現在100名以上の練習者が集まり、242畳狭ましと賑わっている。
平成18年10月29日、小学生の大会が近隣で二つ開催された。一つは、伊勢原市柔道協会主催の「やまどり杯」である。
我が協会の少年達は団体戦で優勝、学年別個人戦では、ほとんど上位を独占した。
もう一つは、東海大学主催の全国規模の、「望星旗少年柔道大会」であり、昨年は1回戦で敗退したものの、
今年は、低学年チームと高学年チームが、2部と3部の決勝に進出し準優勝の栄誉に輝いた。応援の父兄達も、1年間の成長ぶりを確認した大会であった。
ふたつの大会での活躍が次の舞台への踏み台になって、新しい息吹に燃えているのが、柔道場の現状である。
昭和62年、総合体育館の建設計画案が市議会に提出されたが、最初の設計案は100畳であった。
私達平塚柔道協会は、過去の歴史と伝統をふまえ、将来への展望を考え、試合のできる242畳に拡大すべきことを要望した。
私も当時、平塚市議会議員をしていたので、議会でも設計変更を強く主張、その結果は、要望通り242畳に決定。
平成3年3月に完成した。
しかし、完成当時は、すばらしい広さに対してあまりにも練習者が少なく、市に対しても顔向けができなかった。
中学校の柔道の部活が少なく、協会としても指導者を派遣し、柔道部を作るように働きかけたが、なかなかうまく行かなかった。協会冬の時代であった。
この時代、よく流れを止めず、協会を支えてくれたメンバーがいる。その人達には頭が下がる。
その先頭に立って支えて来てくれたのが、現協会理事の加藤利雄氏と八田厚生氏である。
長年事務局もこの2人が担当してくれたのである。続いて、西野昭夫前事務局長と高橋豊氏である。
さらに、現理事で少年部を担当している三井澄夫氏、原文雄氏、川嶋弘司氏、青木俊之現事務局長もよく支えてくれた。
特に、一貫して守ってくれたのが、現在副会長の平野忠雄氏である。
武者小路実篤の言葉に「見るもよし、見ざるもよし、されど我は咲くなり」という言葉があるが、
皆このような心境で、冬の時代を乗り越えてくれたのである。
柔道を心から愛した人達であった。
今や、協会は春から夏に向かっている活況の時である。このような時は、誰でも集まりやすい。
ただ、冬の時代を支えてくれた人達があってこそ春があり、現在があるのである。冬の時代の功労者に感謝!
写真は平塚柔道協会稽古納め
平成5年12月18日
総合体育館第二武道場
(HIRATUKA 市民ジャーナル 連載記事より抜粋)
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