平塚柔道物語その3
平塚柔道協会 理事長 奥山晴治
2006年9月1日

1. 平塚柔道物語・その3

先輩に恵まれた平塚高校時代

 平塚高校時代は、柔道の先輩に恵まれていた。私より3級先輩の高澤貞助氏(現在協会副会長)は、体は小柄であったが、 柔道の技の切れ味は天才的であった。

 私は中学3年の時に平塚柔道協会の道場で練習稽古をお願いした。当時高澤氏は平塚高校の主将であり、実力は3段級であった。 それを知らない私は、畳すれすれの低い体落としで何回も投げられ、平塚高校の主将の強さに驚かされた。

 その次の主将が二挺木幸雄氏(現大磯町柔道協会会長)である。この二挺木氏の強さはまた格別であった。 体重は75kgはあったろうか。得意の体落としは、県下の試合でも目立ち、負けることはなかった。

 私が1年の時であったが、藤沢市のT高校やN高校などとよく交流試合を行った。勝ち抜き戦の時は、部員の多いN高校などは、 10人くらい残してしまったが、二挺木氏が1人で最後まで抜いてしまったのには舌を巻いた。 その後、神奈川県代表として国体にも出場した。

 また、私のひとつ先輩の飯田茂章主将も二挺木先輩に劣らぬ強さを持ち、高校で県内一の実力者W氏に惜しくも負けたが、 高校時代に3段を取得した。

 また、6級先輩の平野忠雄氏(現在協会副会長)は、学校の部活の時間になると、自分の商売の合間をみて、 よく後輩の指導に来てくれた。

 平野氏の得意技は払い腰のような横車、先輩独自で発案した技で、私たち仲間はよく投げられた。その技にかかると、 ブーンという音を立てて飛んでいくような感じの豪快な技だった。

 私が主将になった時に、幸運にも、部活担当講師として先輩原健二氏に指導に来ていただいた。原氏は平野氏は同級生であった。

 平塚柔道協会が生んだ天才少年とも言われてきた原健二氏は、身長172cm72kgの体格。柔道4段。 平塚では、私たちにとってあこがれのスターであった。

 市民大会のあとのイベント黒帯10人掛けは、柔道の技の醍醐味を大勢の人に見せてくれた。 足払い、大内刈、小内刈、支え釣り込み足などの足技、体落としや跳ね腰など多彩な技で、 大きな人も小さな人もたたきつけた。私もこの原先輩から、多くの技を学んだ。

 月末になると、担当講師に高校から謝礼が支給されたようだが、原先輩は私たち柔道部員に「好きなものを食べろ」と言って、 よくご馳走してくれた。

 当時、カツ丼などを食べる経済状況になかった私たちは、多いに感動した。柔道が強いだけでなく、 気前のよさと後輩への思いやり、人間性は、未だに忘れることができない。残念ながら、原先輩は現在この世にいない。 39歳の若さで亡くなってしまった。

 このような先輩に恵まれた高校時代、@厳しさと思いやり、A汗と努力の陰に技の工夫、B勝負の時の度胸のよさなど、 多くのことを学んだ。

 また、その思い出は、現在私の心の宝物となっている。


写真は、前列右から原健二氏(故人)、平野忠雄氏(現平塚柔道協会)、
後列右から平木敏勝氏(元平塚高校教論)、宮川利男氏(現平塚市教育長)、
奥山晴治(筆者)、平元修氏(元平塚高校柔道部副主将)
青春時代の1コマである。


(HIRATUKA 市民ジャーナル 連載記事より抜粋)

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